訴訟(裁判)の目的とは



裁判は真実発見のためじゃない?

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裁判というと多くの人は真実を発見するためのものというイメージがあるのではないでしょうか。

個人的にトラブルを抱えてしまった場合に裁判は最終的な手段として考えられがちです。また、犯罪行為があったときは最終的には必ず裁判を利用するということになっています。裁判を受ける権利は憲法が保障しているところです(憲法第32条、第37条)。

そして裁判は真実に基づいて理性的な法律を適用して厳格に正しい結論を導くものというイメージを持たれている方が多いのではないかと思います。

しかし、かつて、中世においては裁判は政治の道具として利用されていた時代もありました。日本でも戦前の軍法会議(軍人の事件について取り扱う特別な裁判所)は、正義と理性というよりも、軍の規律統制のための裁判でした。

例えば1936年に生じた2.26事件についての軍法会議では、首謀者は弁護人なし、即日判決、上告なしで死刑が確定しました。まさに規律統制のための裁判と言えるでしょう。

では、現在の日本の裁判制度は真実に基づいて行われるものとなっているのでしょうか。

刑事裁判と民事裁判では目的が違う

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現在の裁判制度は刑事訴訟(刑事裁判)と民事訴訟(民事裁判)とで目的が違うとされています。

刑事訴訟は、まさに真実発見と理性的な法に基づいた適切な判断をすることを目的にしています。このことは刑事訴訟法第1条にも書かれており、刑事訴訟では真実に基づいた判断が求められます。

このことは、手続き上様々な場面で現れてきます。例えば、刑事訴訟では自白だけでは有罪とされることはありません(刑事訴訟法第319条等、自白法則)自白だけでは真実かどうかがわからないためです。

また、犯罪事実について被告人が「認めます」といったとしても証拠調べを省略することは日本の刑事訴訟では認められていません。客観的な証拠によって犯罪事実が立証されない限りは、無罪です。

刑事事件は刑罰という重い処罰をするため、真実と法律を尊重します。刑事訴訟のこのような考え方を実質的真実主義といいます。

一方で、民事訴訟では、形式的真実主義という考え方が採られています。民事裁判では、実は真実に反していることでも当事者が自白をすれば、それ以上は調べないこととなっています。また、自白と異なる事実を裁判所は判断してはいけないことになっています(民事訴訟法第179条)

専門的には自白の裁判所拘束力とか弁論主義の第二テーゼなどといいます。

そして当事者に争いがある事実だけ、当事者が提出した証拠によって裁判所が自由な心証で判断することになっています。民事訴訟は形式的真実主義といいます。

極論すれば、裁判のルールや効果的な証拠の利用方法を知らなければ民事訴訟では負けるということになります。借りてもいない100万円の債務があるものとして判決を出されてしまうこともあるということになります。

民事訴訟はあくまでも個人的な問題であり、裁判所は当事者が提出した主張と立証以外は踏み込むべきではないという考え方に基づきます。民事訴訟は自己責任の裁判というルールとなっています。(もちろん、弁護士・司法書士という訴訟の専門家に手続きを依頼するかも自由です。刑事裁判のように国が国費で弁護人をつけてくれるということもありません)

このように、現在の日本の裁判制度は刑事裁判は真実に基づいた判断を、民事裁判は当事者が提出した主張と証拠にのみ基づいて判断をするというものとなっています

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