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アメリカンライフ 真偽その3:銃が多い?

アメリカやアメリカ文化の印象の真偽を問うエッセイ、アメリカンライフ。真偽その3は、アメリカといえば、銃。銃についてです。 筆者は約10年間の在米生活すべてを、西海岸のオレゴン州というところで過ごしました。短期間はオレゴン州で一番大きな都市、ポートランドでも生活しましたが、10年のうちの大方の時間を、郊外で過ごしました。 アメリカと一口にいっても、州によって法律も違うし、なにしろ大きな国ですから気候風土も少しずつ違ってきます。 銃問題ひとつとっても、地域によって違うとは思いますが、今回はオレゴン州に限っての銃事情を紹介します。 銃社会アメリカ 日本で生活する中で、聞こえてくるアメリカのニュースといえば、銃関連の事故や事件が多いですね。それを聞くたびに、銃のない日本で暮らす私たちは、アメリカというのは非常に怖い国であるという印象を抱いてしまいます。 確かにアメリカという国は銃という存在に寛容な国です。 法律で、銃によって自分で自分の身を守ることが認められている国なのです。 そういう意味で、アメリカ人にとって銃はとても身近な存在です。店にいけば売ってありますし、州によって決まりは違いますが、犯罪歴などがなければ、基本的に誰でも手に入れることができます。 筆者が、アメリカの日用雑貨や日曜大工の品物を取り扱うお店で働いていたときも、なんと「○○パーセントオフ!」などという新聞の折り込みチラシを手に、セールになった銃や弾丸を買いに、お客さんが来ていたものでした。 銃売り場では、狩猟用の銃やピストルなどがたくさん並んでおり、日本で生まれ育った私には考えられないような軽い扱いで、武器である銃が売られていました。 日本人が聞けば、驚くような文化ですが、アメリカ人にとってみれば、これが普通です。日本とアメリカを比べると、銃という概念では、基本的に大きくずれています。 どこでも撃てる 筆者は、そのお店で働いていたときは、東オレゴンに位置する小さな田舎町に住んでいました。その町の大部分の人たちは、田舎の素朴な人たちで、自然がたくさんあるので、趣味でハンティングをしたりする人が多くみられました。 その町には日本人の存在は私以外いなかったので、私の銃に関してのこの驚愕の感覚は誰にも分かってもらえませんでした。 筆者は当時、そんな町でいる機会もそうそうないと思い、同僚の男性にお願いして、ある週末、銃を撃ちに連れて行ってもらうことにしたのです。 アメリカでも都市部にいる人たちは、銃を撃ちに行くというと、射撃場に行って、銃を貸してもらったりして撃つのが普通ですが、こんな田舎町では射撃場などにも行く必要がなかったのが驚きでした。 「ちょっとドライブして町から離れれば、誰でも撃てる」といって、彼は私を連れて少し離れた土地へ連れて行ってくれました。アメリカは広いので、どこまでも広がる地平線、というような場所がたくさんあるのです。そこで、彼の自分で手作りの的を置いて、銃を持参して、自由に撃てるのでした。 彼は射撃が趣味で、休みがあれば、そこへ撃ちに行くと言っていました。弾丸もセールで買えば安いので、私にも、「好きなだけ撃っていいよ」と言っていました。 そこで現に、私も数種類の銃の取り扱いを彼から習い、ライフルやピストルを撃たせてもらいました。初めての銃を撃つ感覚というのは不思議なものでした。弾が的に当たる感覚というのは、独特の「暴力」としか形容の使用の無いような感触で、肌をもって感じることができました。 確かに、これが当たれば、人でも動物でも死んでしまうんだ、という感覚が、銃を通じて私の体の中まで駆け抜けていったのを覚えています。 貴重な体験でした。 銃犯罪が消えない理由 このように、日本から来てアメリカで住んでいる私でも、銃があればそこらへんで撃てるような国ですので、これでは銃犯罪があるのが当たり前だと思いました。 その同僚も、何本か銃を持っていましたが、そのどれもが、犯罪歴などをチェックしての店から買ったものではなく、知り合いや、友達など人から買ったものだと言っていました。そんなことができるのなら、店で犯罪歴などチェックしても、結局意味がないなと、改めて思いました。愕然としました。 銃を撃たせてくれた同僚や、銃を手にした私が、もしおかしな考えを持ったとしたら、簡単に町に銃を持って出向いて、ぶっ放すことだってできたのだと思うと、自分のことながら寒気が走りました。 日本でいると銃というのはなんだか遠い世界の話、映画の中の話のような気がしますが、アメリカ人にとっての銃というのはこんなかんじで身近なものなので、銃犯罪も日本人にとってのそれとは印象が大きくかけ離れているような気がします。 画像提供:写真ACより http://www.photo-ac.com/

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カメラマンの取材日記 手ぶらで登山がしてみたい 後編

卒業登山アタック開始! 秋のある日、磐梯山八方台登山口に集合したチャレンジャーたち、天候は晴れ、でも途中少し位雨が降っても登山は決行します。晴れが多いシーズンだから、雨に降り込められた記憶はほとんどありません。  我々撮影スタッフ2名は、それぞれ右肩に重量約7キロの業務用ビデオカメラと、背中のリュックに電源バッテリーを数本、念のために雨ガッパとカメラ用レインカバー、それから昼食と水分と補助食品を詰め込んで、実際の体重よりも10キロ以上重くなっています。 これでは幼稚園児1人を背負ったまま、頂上までアタックする様なものです。  小学生も体力に差があるので、全体のペースは遅い子に合わせます。だから我々も何とか登り切れる。 これでもし勝手なペースで登られたら、若くて手ぶらの小学生になんか絶対に追い付けませんから。 出発前に校長先生からありがたいお話しをいただいてから、元気な掛け声を辺りに響かせて卒業登山がスタートします。我々2台のカメラも同時に登頂開始です。 ミッション・インポッシブル このミッションで最も困難な点、それは50名ほどいる子供たちを偏りなく、まんべんなくレンズに収める事。 だから頂上に辿り着くまでの間に、何か所かカメラの前を全員が通過するポイントを設定するのです。 そのためには、2台のカメラのどちらかが常に最前列の更に先にいないといけません。  1度私のカメラの前を全員通過させると、当然私は列の最後尾、この時もう1台のカメラは先回りして次のポイントで待機します。 その待機ポイントに到達する時には、私は子供たち全員を追い越して再び最前列の先に出なければなりません。 さもないとカメラ2台とも後ろからくっ付いて行く状態では、子供たちの背中しか撮れません。 つまり我々カメラマン2人は、登山中の行列の周囲を衛星のようにグルグル回りながら、追い越し追い越されを数回繰り返しつつ同時に登山もするわけです。なんと楽しい登山か! 山の怖さ、恐ろしさ! 八方台登山口から15分位はハイキング気分、清々しい高原の木々を渡る風は困難の予感を忘れさせるほどに爽やかです。しかしすぐに山の表情が一変、我々に鋭いキバをむくのです。 目の前に岩石が折り重なった難所が出現、角度的にはほとんど壁です。まだ厳しい負荷に体が対応しきれない状態で、ハイキングからいきなりロッククライミングですから、心拍は急上昇、血圧も急上昇。  スタートから30分も進むと、中の湯という温泉施設跡地に到達します。広々とした池からはもうもうと湯気が立ち登り、池の畔には朽ち果てた建物が残っています。 以前は温泉客でにぎわったのでしょうが、近年は火山性ガスの噴出量が多くなり、長時間滞在できない地域になってしまいました。 人間たちの活動領域とはここでお別れ、ここから先は登山以外はできない山の領域です。  そこから約2時間半、我々カメラマンは片道で全体力を使い果たす位に動き続けます。楽しそうな子供たちや保護者のかたわらを、全身汗だく、必死の形相ですり抜けて行く男2人。 途中数か所の休憩時間でも、真夏の犬のようにうつむいてハーハー息をしているのがやっと。 そこに山があるかぎり・・・ 幾多の困難を乗り越えて体に負荷をかけ続けてゆくと、ある時ふっと全身が軽くなる瞬間があります。 我々はこれを「神が降りた瞬間」と呼んでいます。今までの苦しみがウソのように体が軽々と動くのです。 でも冷静に考えるとこれは、どこかの神経がマヒした状態、調子に乗ってそのまま突っ走ると、その先に待つのは生命体としての死。 ...

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法律の同音異義語 拘留と勾留

難解な法律用語? 法律用語というとどうしても難しい言葉というイメージがあると思います。実際、多くの法律用語は海外から流入した概念を無理に翻訳したものであったり、法技術的な概念を示す一種の「造語」であるなどの理由で大変難解であることは違いがありません。特に、日本語の場合には同じ発音でも漢字が異なることで、概念が混同してしまいがちです。 今回は法律用語の同音異義語として、拘留と勾留についてその意義と違いをまとめてみたいと思います。 拘留と勾留 いずれも「こうりゅう」と読みます。この2つは混同されやすく、実際に雜誌などで混同をしている例を見かけることがあります。 まず、拘留は刑罰の一種です。タイプとしては死刑や懲役などと同じということになります。内容としては、1日以上30日未満の拘留場に入れられてしまう刑罰です。ざっくばらんに言えば、1日以上30日未満の期間、「牢屋にぶちこまれる」という刑罰です。 拘留を受ける犯罪としては、刑法上の暴行罪(人に攻撃をして傷害にいたらせないケース・刑法第208条)・侮辱罪(同法第231条)・公然わいせつ罪(同法第174条)などがあります。拘留はあくまでも刑罰であり、いわゆる前科となるものです。 一方で、勾留は、裁判確定までの身柄拘束をいいます。刑罰ではなく、裁判中の罪証隠滅防止と逃亡防止のために行う手続きです。 刑事裁判確定までに被疑者・被告人を身柄拘束する方法としては、逮捕と勾留の2つのタイプがあります。逮捕は3日以内の短期の身柄拘束、勾留は10日から2ヶ月まで裁判のプロセスに応じて中長期的に身柄を拘束するものです。 勾留は犯罪について有罪・無罪の判決が出るまで証拠隠滅・逃亡防止等の手続き上の目的から行われるものです。そのため、証拠隠滅や逃亡のおそれがなければ身柄は解放されます。また、保釈の制度により、お金を担保にして身柄拘束を解いてもらう可能性もありえます。 勾留中は、無罪の推定を受けますので、読書等は自由です。仮に裁判で無罪となれば、勾留されていても前科となることはありえません。また、有罪となって懲役の実刑を受ける場合には勾留期間は実刑の日数に加算されます(いわゆる未決勾留期間)。 さらに、勾留された上で無罪の判決を受けた場合には刑事補償法に基づき罪なくして身体拘束されたことに関して刑事補償を受けることが可能となります。 このように同じ発音の「こうりゅう」でも意味が全く異なってくるということになります。他にも法律用語として意味が異なるものは数多くあります。例えば、過料と科料(いずれも「かりょう」)などです。同じ音でも法律的な意味は全く異なっています。   (ライセンスURLhttp://www.ashinari.com/search/search.php?search=%E5%8B%89%E5%BC%B7 )

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働くママの上手な家事手抜き術

働くママは時間を有効活用! 働くママは、時間を上手に使って子供との時間も大切にしたいものですよね。 そこで、今回は、働くママのワーク・ライフ・バランスを実現するための、上手な家事手抜き術をご紹介したいと思います。 現代版?働くママの三種の神器! 専業主婦や育休中のママなら、家事に十分時間をとれますよね。 しかし、働くママとなると、家事と育児にかけられる時間が限られてきます。 そこで、購入して良かった!働くママのお助け家電をご紹介しましょう。 ・お掃除ロボット やはりお掃除ロボットは、働くママの必須家電です。 勝手に掃除をしてくれて、自分で充電器に帰っていく賢い家電なので、不在にしていても安心です。 掃除ロボットはちょっと・・という人には、コードレス掃除機もおすすめです。 コンセントにさして一部屋ずつ回る手間が省けます。 ・乾燥機付き洗濯機 働くママは、洗濯物を干す時間を短縮したいですよね。 そこで、乾燥機付き洗濯機がおすすめです。ヒートアイロン方式採用の機種だと、アイロンの必要がなくしっかり乾かしてくれますよ。 ・食器洗浄機 食器を洗う時間も短縮できれば、子供とふれあう時間が増えますよね。 意外に節水なので、家計にも優しい家電ですし、ミスト洗剤を使えば汚れを浮かせる事ができるので、自分で洗うより綺麗になります。 お得なサービスを有効活用! 忙しいママは、こんなサービスも利用してみてはどうでしょうか? ・宅配クリーニング クリーニング屋さんに「洋服を持っていって、仕上がったら持って帰ってくる」この何度も行ったり来たりするのって結構手間ですよね。 しかも洋服ってかさばります。 そこで、おすすめなのは、クリーニングの宅配です。 宅配といっても、いろいろな方法があって、本当に宅配便のように箱につめてやり取りするパターン、大手クリーニングチェーンだと玄関先でやり取りするパターンなんかもあります。 クリーニングを頼む量によって送料無料になったり、生協に入っている、クリーニング店の会員である、お店のエコバッグがある、などの条件で安くなったりもするので、意外と料金もほとんど変わらないも藻嬉しいところです。 ・家事代行サービス フルタイムで働くママの場合、休日は子供としっかり遊び、そして自分の体もしっかり休みたいところ。 そんな時は、家事代行サービスがおすすめです。 掃除、洗濯、買い物、食事の支度など家事にまつわることなら代行してくれるので、頼みたい家事をお願いするもの良いですよね。 まとめ いかがでしたか? 働くママは、それでなくとも子供と触れ合う時間が少ないですよね。子供の成長はあっという間です。 子供が小さい間、かげがえのない「時間」を仕事と家事だけで使ってしまうのはもったいない!時間を有効に活用し、家事を上手に手抜きしましょう! 画像引用元 http://www.irasutoya.com/2014/01/blog-post_25.html http://www.irasutoya.com/2013/01/blog-post_260.html http://www.pictcan.com/item/0101.html

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論語を読む・雍也第六など。孔子の高弟顔回

賢なるかな回や 論語・雍也(ようや)第六・十一は、以下のようになっています。 「子曰、賢哉囘也、一箪食、一瓢飮、在陋巷、人不堪其憂、囘也不改其樂、賢哉囘也。」 (書き下し) 子曰わく、賢なるかな回や。一箪(いったん)の食(し)、一瓢(びょう)の飲、陋巷(ろうこう)に在(あ)り。人は其の憂(うれ)いに堪(た)えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。 「一箪(いったん)の食(し)、一瓢(びょう)の飲」は、茶碗一杯のご飯、ヒサゴ(カップ)一杯の水を飲むこと。つまり、とても貧しいことを指します。 また、「陋巷(ろうこう)」はボロ家ということです。つまり、とても貧しい家に住んでいるということです。これは、孔子が弟子の顔回(がんかい)という人を「見上げたやつだ」とたたえた言葉です。また、箪食瓢飲(たんしびょういん)という四字熟語の元となっています。 大意を訳すと以下のようになります。 「弟子の顔回はなんと立派な男だ、貧しい食事や家、普通の人はとてもその境遇に耐えることができない。しかし、顔回は全く気にせず自らの境遇で楽しんでいる。顔回はなんと立派な男だ。」 顔回という孔子の高弟 顔回は孔子の第一の弟子として有名です。他の箇所で孔子は顔回を「完全に近い」とも言っています。非常に学問が豊かな人物であったとされます。 しかし、顔回はとても貧乏でした。1日、茶碗1杯のご飯と1杯の水(栄養失調にならなかったのかと思います)を飲食してボロ屋に住んでいました。夏は暑くて冬は寒さ満点であったことでしょう。通常であればとても我慢ができない ような環境であったといいます。 しかし、顔回は現状を不服とせずに、ひたすら毎日を楽しみます。ここでいう楽しみは、学問をさしますが、師である孔子や仲間との勉強会、交わりも含んでいたことでしょう。 顔回は、環境が悪くとも、自らのやりたいことが明白であったので毎日を楽しむことができたと理解することができます。 また、環境に負けないポジティブな姿勢こそが学問を楽しむ姿勢を保持したとも言えるかもしれません。 顔回に学ぶ 論語はゆうに2000年以上前の話ですので、環境の悪さというのは現代とは比べ物にならないほどのものであったのでしょう。しかし、やりたいことが明白であったり、環境を気にしないポジティブな精神は、師である孔子に2回も「賢なるかな回や」と言わせています。 つい私たちは人生の一場面で「政治が悪い」「社会が悪い」「経済が悪い」などと環境に理由を求めてしまいがちです。未熟な子供であれば「親が」「学校が」と言ってしまっても仕方がないかもしれません。 しかし、戦国時代でいつ殺されるやもしれず、食事のカロリーなどもすこぶる時代において、「最悪」な環境でも学問を楽しんだという顔回の姿勢は学ばされることが多い気持ちがします。 環境がどうあれ、自分自身の心の持ちようで楽しむということは可能であると感じます。 ライセンス元URL http://www.ashinari.com/category.php?blogid=2&category=2&page=1

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