インドを観光する旅つづいてはムンバイから電車やバスで5時間ほど東に走った町プネーへ訪問しました。ほど近く宗教と学術の街といった印象
外れの街プネー
滞在予算は一日800ルピーほど、宿代もそこまで高くなく500ルピー前後でビジネスホテル並みの2人部屋を確保できる程度です。それに観光者もそれほど多くないので現地人には大学に来た留学生と言って通るくらいです。ですので現地料金で食事や屋台などで買い物もできます。旅の箸休めとしては非常に居心地がよく友好的でインド人の落ち着いた生活場といった印象です。それに大学が近くにあるせいか英語が通用するので助かりますし、英語を知らない人としゃべっていても近くの人が通訳してくれたりしますからなかなかのリーズナブルで居心地がよく、現地の人柄もいいインドの隠れた穴場スポット。
Go to the アウランガバード!!
エローラ・アジャンターといった古代寺院やかつての王国の廃城など世界遺産めぐりの拠点となるアウランガバードまで、ここからバスで3,4時間このあたりの人はインド人には珍しくビールを非常に好みます。オートリクシャー(三輪のタクシー)の運転手も観光客慣れしているのでホテルや観光スポット、レストランに連れて行ってくれと言うと良い場所に連れて行ってくれたり観光をパッケージで提案してくれたりします。それに採掘資源が豊富なためかアメジストや水晶、虎目石といったいわゆるパワーストーンが転がっていたりと面白い場所です。ブッタが実際に瞑想に使った場所などがあり日本でいう熊野古道など弘法大師ゆかりの場所の様な歴史的文化遺産のある街です。
歴史的遺産アジャンター寺院洞窟群
アウランガバード中心部からおよそ100km北部に位置する。とあるジャングルの中ひっそりと佇むように存在している当時の宗教寺院跡、日本で言うところの奈良県東大寺周辺のような場所です。当時は多くの王族や商人がここを訪れ救いを求めたとされています。28の寺院がジャングルの谷間を切り抜いて作られている一大建築物です。各宗教が混同しまた28もの建築にいったのは寄贈者(商人や王族)の苛烈な競争意識から生まれたと言われています。紀元前2世紀に建築が開始され、およそ1500年ほど前に完成したと文献に記述されている。
アジャンター建築技法
河が流れ、その横に硬い岩の断崖絶壁がある。そこにアジャンターは建築ており足場を組んで作業をしなかったとされている。当時の石工たちはまず断崖の岩を削り表面を整えアーチ状の窓を作りそこから掘り進む形で寺院を建築していった。削りだされた石は前庭の埋め立てに利用され、アーチ状の窓は太陽光を取り込む為と石の搬出口として利用された。上から掘り進む為足場は必要とせず、不安定な足場による事故を防いだ。しかし、その分装飾と仕上げを同時に行う為、建築構造の把握と高度な技術と忍耐力を要求された。確かに、寺院で人が事故で亡くなるなどあってはならない。仕事の仕方から当時のそういった事情も今に伝えている。ちなみに現代のインドもこの技術を受け継ぎ高い加工技術水準を今に残している。
エローラ寺院遺跡郡
アウランガバードから北西に25kmにエローラ寺院遺跡郡がある。アジャンターとの違いはヒンドゥー教色が強く、装飾には当時の芸術家がヒンドゥ―教叙事詩(ラーマーヤナ)を基にしてデザインしたとされている。一つの岩山をくりぬいて作ってあり、アジャンターと建築技法は同じで足場を使わず装飾と仕上げを同時に行って作られている。またエロティックな装飾が多いがこれは苦行に励むシヴァ神の心を乱すため愛の神カーマを他の神々が送り込んだと言う逸話から構成されている。(日本ではカーマ・スートラとして有名なあのカーマの事)掘り起こされた石の量は54000立法m。面白い事に日本の大黒様はシヴァ神の化身と言われているが定かではない。